歩のママが、お土産に持たせてくれた。
わざわざ買いに行って下さった。
地元で作られた、玉蜀黍と、枝豆と、新生姜。
すんごい甘くて、瑞々しくて、驚くほど美味しい。
写真じゃ伝わらないなぁ。 すごく美しい黄色と、緑。
歩ママが、玉蜀黍3本じゃ重たいかしら、とおっしゃったところにすかさず、
「大丈夫!!」と無遠慮な私。
枝についた枝豆を取ったり、優しく包まれた玉蜀黍のひげと皮を剥く時、なんて贅沢で、幸せなんだろう、と思わされる。
夏、だわ。
きちんと丁寧に生きなくては、と思わされる。
それに、ホントに、ちょうどいい固さに両方とも茹で上げることができて、Good Job!ワタシ!!と大声で自分を褒めてしまった。
チョイ固めが最高だわさ。
でね、美味しい玉蜀黍が手に入ったら、必ず作りたい、コチラ。
玉蜀黍ごはん
いつも適当に作ってるから、レシピ、ってほどではないんだけど…
トウモロコシ1本は、包丁で実を削いでバラバラにしておく
お米3合、水加減はいつもどおり
そこに、トウモロコシ、お塩小さじ1ぐらいかな、ダシ昆布をひとかけ(7センチ×7センチぐらいかしら)
お酒少々 を入れて、スイッチオン。
炊きあがったら、バターひとかけ入れて、さっくり混ぜ合わせる。
もう、ホントに、シンプルで美味しいんだから。
炊き込みごはん、って感じではないので、どんなおかずにも合います。
今日の夜勤のお弁当は、この玉蜀黍ご飯に、豚の生姜焼きにします。
昨日は、サンマのお刺身などと合わせました。
簡単なので、お試しあれー。
でも、玉蜀黍が美味しくないと、ダメかも…
歩ママ、本当にありがとうございました!
最高のお土産でした!
今日は終戦記念日。
おじいちゃまは毎年靖国神社にお参りに行っていたなぁ、と思い出す。
車で送って行ったなぁ、と思い出す。
没後66年経った今年、ニューギニアで亡くなった方がずっと書いていた戦地での日記が、昨日、遺族の手元に戻った、とテレビでやっていた。
オーストラリアの博物館に保管されていたのだそうだ。
享年39歳のその方は、38歳で海軍に召集され、赴いたそうだ。
日記には、「老躯を駆って、お国の為に」と書いてあった。
今の私と同じ、38歳だ。
日記にはご家族やお子さんのこともたくさん書かれていたそうだ。
日記を受け取った娘さんは74歳だった。
毎日毎日を追い立てられるように送っていると、こういう日も顧みないでいることが多い。
何をどう思う、とか、戦争はいけない、とか、そんなことはそれぞれみんな思うこと。
私は、ちゃんと、心に留めていたいと思うだけである。
B.B.のしなやかさや、固さや、柔らかさや、そういうもの、すべて私の中に吸収していたいと思う。
ずっと苦しんでいたことを、諦めてしまおうと思う。
あまりの嘘や、口裏合わせや、悪あがき。 私はその同じレベルで付き合っていけない。
ただ、悪かった、と、それだけを聞きたかっただけだ。
疲れ切った。
なんでもない顔をして、踏ん張って立って、頭の中がグラグラでも、やってきた。
私は、ちゃんと認めてた。
幸せな時間は、幸せな時間として、思い出に残っている。
すさまじい嘘で、それまで取り上げられてしまうのは、悲しすぎる。
B.B.が言う。
おかあさん、おかあさん、と。
だから私は、また立っていられるのであるなぁ、と思う。